こんにちは、あっきーです。

およそ1ヶ月前に、家を解約して福岡を出る決意をしました。

それにあたって、色々と準備をしてきました。
中でも、お世話になった人への挨拶はきちんとやりました。

礼儀云々というよりも、「しばらく会えないだろうから、最後に会っておきたいなあ」という気持ちが強かったです。

最初は家を出るなんて実感はありませんでした。
準備を進めていき、別れを交わす度に、ポツリと、夕立がアスファルトを濡らすように、しばしの別れを実感し始めました(急に小説風)。

残すところあと3日間になりました。
ほとんどの物を処分し、人に別れを告げ、なんだか寂しいなどという感傷もありますが、あと3日で家を出るのは決定事項です。

家を出る事に関しては、一ミリの後悔もないどころか、少しのもどかしさも感じます。
心はもうすでに別の場所へ行っているのに、体はまだ福岡にとどまっているというこの状況に対してです。

本当はすぐにでも出て行きたかったのですが、物事には順序や段階がありますもんね。
たくさんの人、物、場所へ別れを告げる最中に感じた事を、今日は書き綴りましょう。

我々は知らず知らずに捨てられなくなっている

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私が別れを告げた人と、次会えるのはいつでしょう?
約束をしていないので、一ヶ月後、一年後、十年後、、もしかしたらもう会えないかもしれません。生きている保証も全くありません。それは自分自身にも言えることです。

会いたいと思えばいつでも会えますが、会いたいと思って行動しなければ、もう二度と会えないと思います。

そう考えると、いろんなものに対して”尊さ”がうまれます。
人、物、場所へ、たくさんのさよならを経て、一つだけ気づいた事があります。

「こんなに色んなものを持っていたんだ」

物を処分するたびに、自分が物を所有していた事に気付く。
人に別れを告げるたびに、その人と過ごした時間に気付く。

といった感じです。
それらは、普段は意識せずともそこにあります。

今回私がした事は、「一つ一つとお別れをした」という事なんです。
つまり、その数を一から百まで数えたという事になります。

普段は友達が何人、家具がいくつなんて数える事って滅多にないでしょう?
私は、自分が色んなものを持っていることに非常に驚きました。

中には、目の前に”YES”と”NO”が提示されなければ、なかなか捨てられないものもありました。

捨てるのはあまりにも口惜しく、大事な家具家電や本類のほとんどは人に譲りました。

そこで感じた事が、「こうやって人は捨てられなくなるのか・・」です。
気づかぬうちに溜め込んでしまい、失う事が怖くなり、環境のリセットができなくなる。

何も失わずにたくさんのものを得られるのなら、それが一番いいです。
私は、人生においてフットワーク軽めで生きたいという理想があるので、これは少し問題です。

現に、私は今の環境を捨て、新しい環境を手に入れようとしています。
これが、今の環境を捨てられなかったら、これからの未来は変わっていた事でしょう。そしてそれは、私の望まない方向へと。

とりとめもなく書いてしまいましたが、捨てる事によって、何か大事なものを見つけたような気がした事だけをお伝えして終わります。

あと3日。
寂しさこそあれど、心残りはほとんどないです。

強いて言うならば、これから飛躍していくダンさんの経営を身近で見られない事と、連絡がとれなかった友人のことだけです。

最後までお付き合い頂きありがとうございました。
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