こんにちは、あっきーです!
今日は、当ブログのサブタイトルである、
「ギャンブル×心理学」
についてお話したいと思います。
その上で、とても素敵な考えた方についてもお話します。
「そもそも、スロパチ依存賞って?」
最近は、ツイッターやにほんブログ村からお越し頂ける方が増えてきています。
もう少しで100記事くらいになるので、初めての方が昔の記事まで遡るのは、なかなか骨が折れると思います。
そういう訳で、この記事でも、少しばかり「スロパチ依存賞とは何か?」についても触れておこうと思いました。
「スロパチ依存賞」とは、スロットやパチンコを打っている、ほとんど全ての方を指す言葉です。
例えば、ギャンブル依存症の人は、読んで字の如く、精神的にギャンブルに依存しています。
スロパチ専業の人も、一見は勝ち組に見えても、経済的にギャンブルに依存しています。
ギャンブルをしているというだけで、世間からの風当たりは非常に強いですよね・・・
私は、学生、社会人、兼業、専業を経験しています。
私も初めはギャンブル依存症の時期がありました。精神的に依存していたという意味です。もちろん、収支的にも負けていました。
そして現在は、経済的に依存してしまっている。もちろん、お金に困らないのは悪い事ではありません。目標にも近づけるから、ただやるだけでいいんです。
私は、自分に問いかける事がありました。
「このままでいいのかと。」
スロットはあくまでもお金を稼ぐ手段。それを理由に、ここまで続けてきました。
しかし、心の中でずっと思っている事がありました。
「パチンコ屋に行きたくない」
行ったら稼げるのに、自分の目標まで近づくのに、稼働したくないんです。
その理由を考えてみると、一つの感情がそこにいました。それは、
「楽しくないという事」
あれだけ好きだったスロットが面白くなくなっていました。働いていた頃は、疲れていても行きたかったパチンコ屋。一日の勝ち負けに一喜一憂していました。
だけど、今はどうでしょう?高設定を打つために必死でデータを取って、朝から晩までパチンコ屋にいて。気付けば知り合いもパチプロしかいなくなって。行きたくないのに我慢して行って。
なんと狭い世界で生きているんだって思いました。これじゃ、社会人の頃と一緒じゃないか。楽しくない楽しくない
だけど・・・
「だけど、これしかできない・・・」という事に気づきました。
そんな時、かの有名なぱぴーさんのおかげで、新しい世界が見えてきました。
その時の記事を読んで頂いたら細かく理由が書いています。
→必読!設定狙いで億ぬいたらんかい!~感謝と謝罪~
そっか、今の俺はパチンコとスロットしかできないのか。周りの専業さんもほとんどはそうだよな。俺たちは空っぽなんだ。
「じゃあ、自分は専業を辞めるために何かをしよう」と思いました。
ここで言う何かとは、お金を稼げる何かです。そしてそれは、ブログです。
少しでも稼げるためにブログを始めたんです。それはつまり、私が専業を辞めるためのブログ。
ギャンブルに依存している人も、必死に頑張っているという紛れもない事実
私は知っています。
専業は、世間ではゴミだのクズだのカスだの言われ、傷つきながらも毎日朝早くから夜遅くまで稼働している事を。安定とは程遠く、社会的地位もゼロの立場で苦しみながら、それでも頑張っている事を。
周りの専業さんたちを見て思いました。将来への不安や焦りがあるんだと。社会に対する負い目もあるんだと。
一般の依存症の方もそうです。
ゴッド系を打ちながらイライラしている50代の人を見て思います。
「ああ、この方は会社や家庭が大変なんだろうな。汗水流して働いたお金を使っているんだろうな」
なんかすごく悲しくなりました。それは全てに対して。
依存賞の賞は、自分を含め、頑張っている皆さんへの「賞賛」
賞賛した上で言います。
「何をやっているんだ俺たちは?」
このままではいけないと思っている人が、立派な努力の方向を間違えないように
矛先だけはギャンブルの向こう側へ。
このブログは、みんなでギャンブルやめようぜ!というブログなんです。
そして、ご存知の通り、サブタイトルは
「ギャンブル×心理学」
「ギャンブル×心理学」
自分を知る事の重要性。人を知る事の重大さ。
心理学とは、心の化学です。
それ即ち、人の心を知るという事。人の感情を知るということ。他人を知るという事。己を知るという事。
自分を知っていけば、よりよくなれます。
よりよくなったら、理想の自分へ近づいていきます。
そして、人にも自分にも優しくする事ができるようになります。
努力次第では、依存症を脱却できるかもしれません。
それを自分が望んで、実行すれば。
それが、「ギャンブル×心理学」
心理学との出会い
前置きが長くなってしまいましたが、ここからが本題です。
当ブログでは、心理学関連の記事がしばしばあります。
それについて書いている理由は、先述した通りです。
では、あっきーはどこで心理学を学んだのか?という疑問が出てくるのは自然です。
心理学は安易に語ってはいけない、という事実を踏まえるとなおさらですね。
先に言っておきたいのは、心理学を極める事はないという事と、人の心など分からないという事。
それは、目に見えないもので、非常にあいまいで、つかみどころがなくて、完璧な答えがないものに少しでも近づき、昇華させるための分野とも言えます。
あっきー×心理学
私が心理学と出会ったのは、まだ高校生の頃。当時の私は、非常に困った子でした。
人に嫌われたくないあっきーは、自分の気持ちもしっかり伝える事ができず、いつも我慢ばかりしていました。
仲の良い友達にも気を遣い、恋人にも気を遣い、周りの人からは、「優しいよね」とよく言われていました。
だけど、そんなんじゃないんです。自分は、素の自分を出して嫌われるのが嫌だから、八方美人でいるだけなんです。
誰にでも優しくすると、矛盾が生じてきます。
誰にでも優しくすると、とても疲れます。
本音を言いたいのに言えないあっきーは、そんな自分が嫌でした。
優しいね、と言われ、嬉しい反面、本当の自分を出せないもどかしさもありました。
そんな時に出会った考え方があったんです。
そのきっかけを与えてくれたのは、とあるカウンセラー。
今思うと、非常に特殊な環境なのですが、家族の仕事関係のおかげで、私の周りには、心理学関連の仕事をしている人がたくさんいました。
「自殺対策基本法」を制定するにあたって、非常に大きな役割を担った方ともお話した事があります。
つまり、高校生のあっきーの周りは、心理学で溢れていました。
「アサーティブネス」
ある時教えてもらいました。
あっきーは”アサーティブ・コミュニケーション”って知ってる?と
かなりの衝撃を受けた事を覚えています。
それは、今まで出会った中で、一番素敵な考え方でした。
「自分も大事で、相手も大事だよってこと」
そう教えてくれました。
なんなんだそれは?俺はいままで、人に気を遣って生きてきた。そもそも、自分も相手も両方大事にできるのか?そう思いました。
たしかにそうですね。自分も相手も大事にする。それは非常に難しい事かもしれません。しかし、難しいということ以上に、とても大事な事なんです。
自分のことも他人のことも大事にできたらいいなーと、当時の私は思いました。
それからは、実行→失敗→考える→改善のDFTAサイクルのループでした。笑
何度も人を傷つけて、自分も傷ついて、考えて、それの積み重ねが今の私を作っています。
それを繰り返しているうちに、自分の意見をしっかり言う事ができるようになりました。(少し我が強いのはご愛敬)
懐かしいです、アサーティブネス。
あの考えと出会っていなかったら、今の私はありえないです。
それが、私と心理学との最初の出会いでした。
私は、ある意味では心理学に成長させてもらったんです。
「言葉を発する責任」にも気づかせてもらえました。
そこから、大学で心理学を学んだりもしましたが、やはり本物の人との対話が一番勉強になります。
一言でカウンセラーと言っても、色んな人がいるみたいです。その中でも本物は一握り。そして、私は本物の人を知っています。
そういうわけで、今でも現役カウンセラーの方と話す機会がよくあります。
だからこそ、私が発信する情報は、生きた情報だと思って頂いて大丈夫です。
と言っても、皆さんの思う心理学と、私の思っている心理学には少しばかり差異があると思います。
〇〇効果だったり、そういったものは実はあまり詳しくないんです。ネーミングとかは覚えていないです。
私が思う心理学とは、小手先の知識や知恵ではなく、生き方の追求だと思っています。
では、アサーティブネスについて説明していこうと思います。
アサーティブネスの定義
では、まずは定義から。
物事を見るときは、基本を踏まえた上で考える方がより良いです。
こんな時にお世話になるのは?
「ドラえもーーーん!」
じゃなくて、Wikipedia様です。
Wikipediaは募金を募っていますが、もっと良いキャッチコピーがあれば収益が上がりそうな気がするんですよね。
例えばそうですね、、
「もし、このメッセージを読んでくださった皆さまが¥300を寄付してくだされば、ウィキペディアはこの先何年も発展することができます。」
というメッセージを今は使っているのですが、
「知識という財宝の大安売り」とか「知恵と思いやり(金)の等価交換」とか。笑
・・・失礼いたしました。私はしっかりとWikipedia様の良さを拡散していきますので、それでご理解ください。
話がだいぶずれてしまいましたが、アサーティブネスの定義の引用はこちらです。
非常にあいまいで定義の難しい概念であるが,多くの場合「適切な自己主張」「自他を尊重した自己表現」などとされる。この概念の鍵は「相手を尊重すること」もしくは「適切であること」という次元と「自分を尊重すること」もしくは「自らの権利を主張すること」という2つの次元の統合もしくは止揚にある。この統合もしくは止揚の仕方によってさまざまな定義が可能である。行動分析学の観点からは機能的アサーションという定義が提案されている。引用:Wikipedia
まず、非常にあいまいで難しい概念だという事。
「自他を尊重した自己表現」は分かりやすいですね。
「止揚(しよう)」という、かなり難しい言葉がでてきましたが、ここでは、2つの意見の折り合いをつける。というニュアンスでよろしいかと思います。
そしていくつか要素があるようです。
まとめると、適切に自他を尊重するという事ですね。
たしかにあいまいです。
そもそも、適切というのはどういう事なのでしょうか。
では、「アサーティブ・コミュニケーション」という言葉を使って説明していきます。
「アサーティブ・コミュニケーション」
アサーティブ・コミュニケーションとは、アサーティブネスという考え方を用いたコミュニケーションです。
今回は、これを覚えて帰って頂きたいと思います。
一つ注意して頂きたいのが、これから話すのはあくまで私の考え方です。
共通する部分はあったとしても、解釈の仕方が他の人と違う可能性があります。それを踏まえた上で読んで頂きたく思います。
なぜかと言うと、”非常にあいまいで定義の難しい概念”だからです。
では参ります。
先ほど説明した通り、”適切に”自分を大事にして、相手も大事にするコミュニケーション方法なのですが、まずもってこれは、合理的な考え方では決してありません。
そもそも、なぜアサーティブ・コミュニケーションが必要なのか?と考えてみましょう。
それは、人間が必ずしも合理的ではないからです。
人が皆、合理的な存在だったならば、アサーティブ・コミュニケーションなどという概念は存在し得ないのです。
人は合理性を持った、感情的な生き物です。醜く、それでいて美しい。そしてそれぞれに異なる価値観を持っている。
みんながみんな、自分の価値観だけでものを言ってしまったら、折り合いがつきませんよね。
否定する側も、否定される側も、傷ついてしまう可能性が高いです。
私が思う「アサーティブ・コミュニケーション」とは、
「思いやりをもって接する事」
これに近いものがあります。
思いやりとは、他人の気持ちを考える事なのですが、その対象に”自分自身”を加えると、アサーティブ・コミュニケーションが完成します。
妥協とは違います。諦める事でもないです。お互いの考えを尊重して、折り合いをつけるという事です。
素敵だと思いませんか?
ただ、あなたの想像した通り、とても難しい事です。
私自身もちゃんとはできていないと思います。だけど、その考え方をやめることはしない。
だから、先ほど言った通り、「心理学とは生き方」なんです。
赤の他人を思いやることは、非常に難しいです。それは当然のこと。
アサーティブ・コミュニケーションを行う方法
もし、あなたがこの記事を読んで、アサーティブ・コミュニケーションを実行してみたいと思えたなら、まずは、自分の大事な人を対象にしてみたら良いと思います。
いつも言っていますが、スタートラインは「気づき」から。
そして、興味をもったあなたは、今スタートラインに立ちました。
次にすべき事は「理解」でしょう。
自分自身と、相手への理解です。
まずは自分の事を理解してあげる努力をしてみてください。
「私はこうしたい」
「私はなんでこう思ったのだろう?」
「私はあなたにこうして欲しい」
「私はやりたくない」
全てを”私は”、”ぼくは”、”おれは”から考えてみてください。
それが出来たら、次のステップは他人の気持ちです。
「あなたはこうしたいの?」
「あなたはなんでそうしたいの?」
「あなたはどういう考えや気持ちでそう思ったの?」
最初から折り合いをつけようとしなくて良いです。まずは理解するだけ。
人の気持ちは簡単には分からないですよね。
「この人はどう思っているんだろう?」と考える方も多いと思います。そんな頑張り屋さんのあなたに、一つだけコツを教えてさしあげます。
”相手に聞けばいいです”
他人の気持ちが分からない時は、相手に聞いちゃいましょう。
そして、人に聞くときは、自分の気持ちも教えてあげた方がいいです。
「自分はこう思ってるんだけど、あなたはどう思ってるの?」
ここまでやったら、あなたは何か感じる事があると思います。
そこであなたが取れる選択肢がいくつかあります。
相手を傷つける選択肢や、自分が傷つく選択肢。
自分が得する選択肢や、相手が得する選択肢。
相手も自分も得する選択肢や、相手も自分も納得できる選択肢。
アサーティブネスな考え方でいうと、「相手も自分も納得できる選択肢」が当てはまるのですが、強制はしません。これは生き方だからです。
あとは、あなたが取りたい選択肢を取ればいいと思います。
無理して相手を思いやったところで、それはアサーティブネスではないですからね。
アサーティブコミュニケーションを邪魔する、”何かもやもやするもの”が自分の中にいたら、
それが自分自身の弱さです。
その部分に気づいてあげる事もまた、大きな一歩だと思います。
まとめ
非常に長くて濃い内容になりました。
「スロパチ依存賞」と「ギャンブル×心理学」の事を多少は分かって頂けたかと思います。
そして、最後に言っておきたいことがあります。
この記事を読んで、「ああ、あっきーは良い人なんだな」と思ってくれる方が万が一にでもいるとしたら、それは違います。
偉そうに色々と語っておりますが、私は良い人でもないし、弱い人間です。それをご理解頂きたいです。その事は以前の記事でもお話したと思います。(リンクを載せるのは少し恥ずかしいので、ご自分で探してください。笑)
もし、私の事が良い人に見えた理由を探させて頂くなら、
私自身が、”より良くありたいと思っているから”そう見えたのかもしれません。
世間的には無職、生産性もないし、何の結果も出していないし、現時点では誰の役にも立てていないあっきーが、唯一誇れるものがあります。
それは”考えること”
考えることが超得意です。「考える≒掘り下げる」なのですが、物事って考えたら答えが見えてくるものなんですよね。だから”考えること”が得意で本当にラッキーです。
私は弱い人間です。だけど、より良くありたい。
そのためにどうすれば良いのかを考えて行動する。それでいいんだと思います。
専業で、何も武器を持っていないからブログを始めたように、
こうやってどんどんステップアップしていきたいと思います。
だから今はまだ良い人ではなく、”考えが面白い人”程度で見て頂けると非常に嬉しいです。笑
ではでは、ここらへんで終わりにしたいと思います!
最後まで読んで頂き、本当にありがとうございました。
今日より明日が良い日にできるよう、必死にあがいていきますので、応援して頂けたら本当に嬉しいです。
私も皆さんも、この記事を読み終わった今が、”何かのスタートライン”かもしれませんね。
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