こんにちは、あっきーです。

今は日付が変わって8/7になってしまいましたが、昨日は8月6日でした。
1945年、広島に原爆が投下された日です。

私は去年の8/6に一人で広島に旅してきました。

今日は、そのお話をしたいと思いますが、まずは、行こうと思ったきっかけから話そうと思います。

きっかけというのは1つのテレビ番組で、原爆に関するドキュメンタリー番組がありました。

その番組では、広島の高校生が、”原爆投下された日の再現ビューを作る”という内容でした。
PCを使って、当時の街の様子を再現する、というものです。

それは易しいものではなく、色んな原爆体験者の方々にお話を聞いたり、写真を見せてもらったりし、彼ら高校生の夏休みを返上してその企画に取り組んでいました。

一夏をかけ完成した作品は、素人の私の目から見てもハイクオリティで、写真の様子を忠実に再現し、当時の悲惨さを物語るものになっていました。

そして、完成した作品を、ある人に見せました。
そのある人というのが、実際に被爆されたご老人でした。

私は気になりました。

「一体どんな反応をするのだろう?」

高校生達がその作品を作った理由は、原爆の歴史を風化させない為。
つまりは、負の遺産を過去に引き継ぐためにデータとして、ビジョンを残したかったのです。

これほど強い思いで、大事な時間をかけ完成された作品に、どのような評価を与えるのだろうと、大変気になりました。

そのご老人が言った言葉は、

「こんなものじゃなかった。これとは比べものにならないくらい、想像を絶するほど悲惨だった」

そう言ったのです。
実際にクオリティも高かったし、普通ならば、

「よくできてるよ、頑張ったね」

そのような感想を述べると思ったのですが、そうは言わなかったんです。
つまりは、本当にそれほど悲惨だったという事です。

私には想像がつきませんでした。
どれほど悲惨だったのか、どれほど辛かったのか、どれほど理不尽だったのか。ひとつとして想像出来ませんでした。

だからこそ、8月6日。原爆が投下されたその日に行ってみようと思ったのです。

そうしたら、少しは気持ちが分かるかもしれない。
そのような考えで、広島へ行きました。

結論から言うと、被爆された方の気持ちは全く分かりませんでした。
全くというのは、1ミリも、露ほども理解ができなかったということです。

家族を爆風で焼かれたり、川に死体が浮かんでいたり、人が影になったり、線路をたどって隣町へ行ったり、あったはずの街が瓦礫と化していたり。
その気持ちが理解できませんでした。

自分は経験した事がないのだから、ある意味当然です。
しかし、非常に感動した事がありました。

その感動の理由は、人への感謝です。

思わず涙が溢れるほどの感謝。
私が原爆ドームに着いた時、眼前に飛び込んできた光景、それは人。

1年に1度の特別な日、哀悼を捧げる日。その日に、その場所にいた人。

行った事のある方はわかると思いますが、そこにいた人の1/3以上が外国の方でした。

アメリカ人、イタリア人、ロシア人、アフリカ人、様々な国の方々がいました。
そして驚くべきことに、カップルや夫婦が多かったのです。

恋人と過ごす大事な時間を使って、「8月6日に広島へ行こう」そう思って来たはずです。

うまく言葉にできるか分かりませんが、
その意識の高さ、関心の高さ、未来への想い、平和の願い。

全てが伝わって来ました。
そこで私が思ったのは、

「ああ、今まで自分が無関心だった分、代わりにこの人たちが、未来のために考えて、実際に行動してくれていたんだな」

申し訳ない気持ちもありましたが、心から感謝しました。

一同が、過去への哀悼や、未来への希望を抱いて集まっている様子、それは、あの日あの場所でしか体験できない事でした。

夕方になると、灯籠流しがあります。
私も参加させて頂いたのですが、和紙に文字を書いて、それに灯りをともし、自分の想いと共に川へ流すのです。

日が暮れて暗くなり、それはそれは美しい光景でした。
その光は、優しく、神秘的でした。

過去を悔やんだり、過ちを否定する事もあると思います。
しかし、平和な未来を思い描くこと。それを忘れてはいけないな、と思いました。

その日は、私の人生の中でも、かなり貴重な体験をさせて頂いた日になりました。
今はこうして、まだまだ小さいですが、自分の媒体を持ち、この体験を伝える事。そうやって、自分のできることをして行きたいと思います。

この記事を読んで、来年は行ってみようと思ってくれる方がいたら、それはそれは私にとって、すごく幸せな事です。

灯籠流しの様子の写真を載せて終わりたいと思います。
読んで頂きありがとうございました。