先日、ハーデスを設定狙いしていた時のお話です。

初めて”アレ”を体験しました!

ジャッジメント中に何か揃いました!!

噂に聞く、犬がたちどもるやつですね笑

あれだけ打っておきながら、初めてみた演出だったので「おお!」と思いました。

脳汁が出るかと思ったら、最初に思い浮かんだ顔が”某寺井さん”でした。
脳汁ではなく、寺井汁が出たみたいで良かったです。笑

結果としては、島の雰囲気が悪すぎて、初当たり5回の1/250くらいですてました。

ちなみにGODではなく、冥王揃い(100G)でした!残念!

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先日コメントで

話は変わりまして、私は人のブログのコメント欄を見るのが好きです。

こういう記事にはこういうコメントが来て、この人はこういう返信をするから云々たる理由です。

コメントに興味がない方も、みてみると案外面白いのでおすすめです。
コメント欄ではブロガーさんの素がでたりするので、更にオヌヌメです。

つい先日、当ブログに、あるコメントがありました。

矛盾演出から考える善と悪

こちらの記事なのですが、コメントを先に紹介いたします。

あっきーさんに2つ質問したいのですが、
>>あなたが人の矛盾を偽善だと指摘して、本当はその相手が本物だった時
その時は、あなた自身が偽善になってしまいます。
これにはエピソードがあるのでしょうか?

もう一つは、
あっきーさんは善、悪をどう考えてますか?
自分は「単なる」共存のための社会の維持、管理システム、あるいは宗教と今現状では認識してます。

コメントは以上です。

「ねねこまさん」という方なのですが、ブログを立ち上げて間もない頃に、当ブログにたどり着いた方です。
そして、初めてみたブログにも関わらず、お褒めのコメントを残して頂いた方です。

あの時は朝の8時くらいだったと思いますが、非常に嬉しくて、すぐにコメントの返信をした事を覚えております。笑

では、私の答えられる範囲でお答えしたいと思います。

まずは善と悪について

ねねこまさんのおっしゃる通り、世界における善と悪というのは、

社会のシステム、宗教などが一般的でしょう。

簡単に説明すると、日本においては、
国民の権利を守る憲法が存在し、物事の善し悪しを判断するための法律、そして条令があります。

それらを犯した者は罰せられる。共存の為の決まり事。

それが法治国家における善悪の判断基準です。

そして宗教的な意味で言うと、広義的に解釈して、「神の教えに従うか背くか」でしょう。

ねねこまさんが言うには、「それ以外に何かあるのか?」という事です。
議題が議題ですので、かなり抽象的で非常に扱いづらいものなのは間違いないです。笑

しかし、当ブログの最たる武器は、「あっきーの脳みそ」であることは間違いありませんので、この謎かけともいえる質問に、全力でお答えしていきたいと思います。

まず、善であること、悪であることだけでは意味はないと思います。
理由としては、善も悪も、他者が存在して初めて影響を及ぼすからです。

これは法律やキリスト教の教えとは異なる意見であるかもしれませんが、何かを否定するものでは決してございません、あくまでも私自身の考えですので、ご理解ください。

第三者がいてこそ成り立つ「善と悪」

ちなみに、法律(決まり事)や宗教がない国では、善悪はほとんど無意味です。

「私の家族が殺された」
→「だからどうした?」

という風になるわけです。裁く側も、信じる神もいなければ、人間の行動には野生的な利害関係しか残りません。

”ほとんど”無意味と言った理由は、人間は完全に合理的な生き物ではないからです。
しかし、結局のところ”生きる”という共通の目的がある以上、動物にもあるように、その種毎のルールが出来るでしょう。そして善と悪が定められる。一緒ですね。

そんな事を考えても全くもって意味がないし、建設的ではないので、持論をお話します。

私は、善と悪は”客観的または主観的意見の自己満足”だと思っています。

あるいは、人(己も含む)を客観視する時のバロメーターとでも言えましょう。

細かいところで言えば、国によっても善悪の違いが表れる事もあります。

この人(または自分)は善意何%で、この人は悪意何%と推し量る時に、指標があると便利ですよね。

「ああ、善意でくれたから善意で返そう」
「あぁ・・悪意できたけどどうしよう」

このような感じに、反応や対処をしやすくなるわけです。
もっと例えると、善意100%の人とは仲良くしたいと思うし、悪意100%の人には近づかないようにするでしょう?

だけれど、それは共通した指針があるわけでもないので、あくまでも自分自身のバロメーター、答えが見えないので自己満足とも言えます。

前回の記事に書いたのは、私はそのバロメーターの数値を誤らないように生きたいという事です。
格好よくいえば、礼儀や生き方とも言えますが、自己満足だと言われても、違和感はありません。

話をまとめると、

法律や思想を除いた場合、正確な善と悪は目に見えない。
目に見えないから、自分で数値化する。
その答えが100%正しいわけではないので、ある意味、自己満足ともいえる。

中には、善意の指標がお金の人もいますからね。
「いくらくれたからこの人は良い人だ」のように。

皆さんバロメーターの作りに個人差がありすぎますので、善を相手にうまく伝える方法も、意外と大事だったりします。笑

生まれたての赤ちゃんには善悪というものはありません。大人になるにつれ、文化や環境で形成されていくものです。
不可視に近い善悪を可視化できるように、それが自己満だとしても、私にとっての善悪を確立できるよう、常日頃から注意深く物事を見極めたいです。

とにかく、日本が法治国家で本当に良かったと心から思います。

今の私には、この程度が精一杯なので、ここらへんでご勘弁願います。

偽善を指摘して相手が本物だった時

>>あなたが人の矛盾を偽善だと指摘して、本当はその相手が本物だった時
その時は、あなた自身が偽善になってしまいます。
これにはエピソードがあるのでしょうか?

本物が善だとして、それを指摘したものが善とはかけ離れた存在だとする、しかしそれが悪ではないのならば偽物の善、つまりは偽善になります。

これに関しては、エピソードという程のものではありませんが、一応にはございます。

私の知っている方で、”本物”のカウンセラーがいます。

偽物も何人か見たり聞いたりしてきましたが、この人は”本物”のカウンセラーです。
私のバロメーターが壊れていない場合のお話ですが、その方が矛盾している部分はほとんどありません。

しかし、ある時本人から聞いた話では、批判される事も多いそうです。

「偽物、胡散臭い、変な宗教みたい」

「って言われた笑」と話していました。

「あの人は変な宗教を始めたから、関わらない方がいいよ」
と”善意っぽく”言っている人もいたらしいです。

というのが一つのエピソードですね。

あとは、私自身が体験した事でいうと、昔の職場の話ですね。
社会人時代その~15~こちらでお話しています。

私は給料を頂いて、言われた以上の成果を出したにも関わらず、それを集団で悪だと認知し、攻撃されました。
客観的に見て”対価<労働”という役目を果たした私に、主観だけで批判してきた方々は、善という幻をみていた偽善者でした。

今となってはどうでも良い事ですが、仕事を辞めようと思った一つの理由にはなりましたね。

まとめ

いかがだったでしょうか?

ちょっと長くなりすぎました。笑

内容も皆さんに伝わるかどうか、微妙なところだと思っています。

善と悪については、何かコメント頂けると嬉しいです。
全てにはお返ししませんが、コメント欄である程度の議論をして頂いても結構です。笑

とまあ、ふわふわした内容のお話だったかもしれませんが、

たちどもった割には上乗せ100Gで1000枚以下でした。

そして!次回は、ある機種を後ヅモします!

楽しみにしているでござる。

最後までお付き合い頂きありがとうございました!

作成になんだかんだ4時間くらいかかったので、迷ったらポチっとお願いします!

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