あっきーです。

突然ですが、皆さんに聞きたい事があります。

「あなたは昨日、何のために仕事をしましたか?」
「あなたは昨日、何のために稼働しましたか?」

僕自身の事は、僕には分かりません。

今日は、構成とか全く考えずに、思ったままの事を書いていきたいと思います。
ですので、論理的ではなく感覚的に読んで頂けるとありがたいです。

言葉や表現で不快にさせるかもしれませんが、どうかお付き合いください。

ふと思うことがある

「あれ、なんで生きてるんだろう?」

皆さんはないですか?

なんで生きているんだろう?という意味は、
「生きたくない」とか「死にたい」とかじゃなくて

「どこに向かっているんだろう?」という感覚です。

”向かう”ということは、何かが動いているという事です。

前に進んでいるのか、後ろに下がっているのか、はたまた止まっているのか?
自分が動いているのか、それとも時代や環境がめまぐるしいからそう感じるのか?

ちょっと考えてみると、今回は”取り残された感覚”はないようです。
という事は、対象物が動いているのではなく、自分が動いているということ。

でもここでまた少し考える必要がありました。

「あれ、時間って絶対に動いてるよな?」

時間は絶対的で、普遍的で、僕にとっては流動的で有限です。
僕がこんな風に考えている間にも、時間は流れていきます。

思考をもっと深く落とそうとした時にふと、思った事がありました。

「あ、愚かだ」

忙しい時には時間を大事に使う事ができるのに、
暇な時には時間を持て余しているということに対してではありません。

「今は別にそれでもいいかな」って思ってしまっている自分に対してです。
もちろん、他の人もほとんど同じ気持ちだろうと思うけれど、今回は特に自分にだけです。

愚かな僕は、じゃあどうすればいいんだろうかと考えました。

時間を大切に使うためには、どうすればいいのだろうか。

「僕は昨日、何のために稼働したんだろうか?」

それって何?

多分、僕よりももっと愚かな人はこう言うでしょう。

「やる気がないならモチベーションをあげようよ!」

でも、僕はこう思うんです。

「それって何?」

モチベーションって??
つまり、時間を大事に使えないのは、モチベーションが低いからだということですか。

僕にとってそれは、すごく正しくない事に聞こえるんです。
まるでどこかで聞いたような、

「ダイエットをするためにランニングシューズとジャージを買って、さらにはジムに入ったよ」

これとまったく一緒に聞こえます。
これ自体が間違ってるって事じゃないんだけど、多分この人はダイエットが目的になっているんじゃないのかなって思います。

でも本当は、何か目的があってダイエットをしようと考えたんじゃないかと思います。
例えば好きな子が出来たとか。娘にかっこいいって言われたいからとか。夏の海でワンチャンだとか。

でも人って、「ダイエットをするんだ!」って言うんです。
どれほど夏の海でワンチャンしたいかなんて口に出さないんです。

本当は、娘に割れた腹筋を見せる事が一番大事なのに、
「おれはダイエットをしてるんだ!」って言うんです。

「おれは娘に割れた腹筋を見せるのが楽しみなんだ!」とは言わないんです。

僕はここで気が付きました。

「この世の中では、何かとてつもない間違いが起こっている」

だってそうでしょう?

女の子に好かれるためにダイエットをするためにジムに入るためにランニングシューズを買う。
そしてそれは、一体誰のためなんだろう。

こんな複雑な事で日常は溢れています。

好きな女性がいなければ、
愛する娘がいなければ、
浜辺にギャルがいなければ、

ダイエットなんてしないのに。

一体何に蓋をしているんだろう?

いつの間にか、ダイエットをする事が目的になっています。

気合を入れて、ジムの入会手続きをしにいく。
モチベーションを上げるのにも、モチベーションが必要になってくる。

しばらくは気合が入ってモチベーションが上がります。
だけどそんな時、僕はこう思うんです。

「一体、何のために生きているんだろう?」

そのシンプルな疑問が、僕のモチベーションを一気に下げます。
我に返ったように、全ての熱が冷めてしまったようにも思えるほど一気に下がります。

その複雑性は、そこにずっとあったのに、
見つけてしまった瞬間、全て冷めてしまう。

そこで僕はようやく気付きます。

つくられたモチベーションの”脆弱性”に。

モチベーションを上げる為にモチベーションを上げて、それがいつの間にか目的になってしまうという矛盾に。

「ああ、偽物の信念だったんだな」って思います。
それはすごく悲しくて、まるで世界が自分を否定したような感覚になります。

偽物の信念をとっぱらったら、もうそこにやる気なんてものはありません。笑

そういう時どうするかって言ったら、たくさん寝ます。
自責の念にかられながらも、休んで、休んで、遊んで、休んで。

それでも、モチベーションは沸きません。
だって、目的がないんだから当然です。

好きな女性がいなければ、ダイエットなんてしないんですから。

偽物のやる気が通用しないと分かった時、人は絶望します。
世の中のほとんどは偽物で出来ていて、それを本物だと断言している人が99.9%です。

逃げ場を失って、絶望して、そこから這い上がる気力もなくて。

そしてまた考えます。

「何のために生きているんだろう?」

感傷的な時期がきます

センチメンタルシーズンの到来です。
「ああ、僕は世界で一番不幸な人間なんだ」と思っちゃう時期がきます。

その理由は、何も行動しない自分のつまらなさを知っているからでしょう。
もしくは、人前と一人の時のギャップに疲れてしまっただけかもしれません。

「ああ、こんなにも無理して生きていたんだ」
「俺はなんて不幸な人間なんだ」

しかし、満足のいく答えはなくて、そのままでは辛すぎるので泣く泣く前をみます。
本当は誰かに構って欲しいって言うのも全然ありなんですけどね。

まあ色々ありながら前を向いてみると、いつもの生活が僕たちを待っています。

そこでまた、忙しさで日常を埋めようとします。
これがワーカーホリック、稼働病の入り口です。
少しの安堵感と、満足感を求めて。

「僕は何のために生きているんだろう?」

やりたい事が見つかるのなんて、このような苦悩の後でしょう。

「あなたは昨日、何のために仕事をしましたか?」
「あなたは昨日、何のために稼働しましたか?」

ぼくは、なんとなく稼働しました。
なんとなく稼働した自分を責めようと思いましたが、でもそのなんとなくの中には、

「よりよくありたい」とか「ちょっとでも前に進みたい」っていう気持ちもありました。

冷静に考えると、その考え自体は正しくて、でも方法がちょっと間違っていました。

んで、時々こういう事を言うと、

「どこに向かっているの?」って聞かれることがあります。

それはごく自然な疑問で、僕自身もよく分かりませんでした笑
目的が分からないのに”よりよく”って思うのは、よっぽど立ち止まりたくないんでしょうね。

それは劣等感からきたものです。
「なぜなら〇〇が嫌なので〇〇をする」から。

立ち止まるのが嫌なので前に進みたい

僕みたいに心理学を偉そうに語っている(自称)ブロガーでも、劣等感で動いている事があるんですよね。
でもそれってすごく当たり前の事らしいです。飲み込まれないように気を付けましょ。そのための視野の広さです。

そして、ふとした時に思い出します。

”自由に生きたい”と。

もちろんそれも不自由を経験したからです。
根源は劣等感なんですよね。

では、お付き合い頂きありがとうございました。

劣等感に関しては、とてもここでは語りきれないので、またいつかご要望があれば。


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