こんにちは、あっきーです。
先日、友人とお話してきたのですが、
ギャンブルで数百万円の借金をつくっていました。
ちなみに彼は、割と裕福な家庭の育ちで、両親は二人とも健在です。
そして、2年前くらいに会った時よりも、借金額が増えていました。
今はサラリーマンをしながら、将来的に事業を興せるように行動しているそうです。
しかし、借金が数百万円
理由は散財とギャンブルです。
借金をしてまでギャンブルにハマった理由
皆さんはどう思いますか?
借金をしてまでギャンブルをする事。
その理由は何だと思いますか?
本人が話したがらないので、詳しくは聞きませんでした。
ちなみに本人は「パチンコがやりたいからやった」と言っていました。
やりたい事をやる。それがギャンブルであろうと何であろうと。
時々こういう人がいます。
「リスクを考えずにやりたい事を純粋にやるなんて、漢だねえ!!」
それについて私はこう思うんです。
「リスクを気にしていないのではなく、現実から目を背けているだけではないのか?」
このように仮説をたてます。
では、”現実”とは具体的に一体なんの事なのか?
異常なまでにハマる事は異常な事
借金をしてまでギャンブルをするのは異常です。
普通の人はそこに至る前にストップがかかります。
つまり、その静止を振り切ってまで、その人はギャンブルをするわけです。
これはある意味、人よりも”エネルギー”を持っていると言えるかもしれません。
正か負で言ったら、それは負のエネルギーでしょう。
”じゃあ、その負のエネルギーの沸きどころはどこなのか?”
このように、仮説を立て、掘り下げていく事が重要なのはお分かり頂けるかと思います。
こうして、地道に向き合っていくしかないんです。
では続いて、その友人のお話を聞いて、スロプロの私にできる事は?
私がとった対応は・・?
この段階でしてあげられる事なんてほとんどない
彼は、そこそこ付き合いが長い友達です。
もちろん幸せになってもらいたいですが、現段階で私にしてあげられる事はほとんどないです。
そもそも、”してあげる”なんて考えでいくと、こっちがやられてしまいます。
病んでいる人のパワーは恐ろしいからです。
「絶対にギャンブルは辞めた方がいいよ」
こんな安直な言葉も使うはずがないです。
アドバイスを受けて辞められるのなら、とっくにやめています。
忘れてはいけないのが、彼は
”〇〇依存症に、なるべくしてなった”
という事です。
それがたまたまギャンブルだっただけです。
私たちもそうでしょう?仕事依存症、期待値依存症、これらの本質はほぼ一緒です。
不運な事故からなったわけでもなく、自分から大手を広げて依存症を迎え入れたと表現されてもおかしくありません。
私と彼が一緒に、本気で向き合ったら、もしかしたらギャンブル依存症から抜け出せるかもしれません。
しかし、それがかなう事は恐らくないでしょう。
なぜなら、彼自身が変わろうと思っていないのですから。
「自分が変われば周りが変わる」
それはたしかにそうだと思います。非常に素晴らしい考え方です。
しかしそれは、時々ですが全く無意味な言葉になる事も知っておかなければなりません。
では、彼を変えたいのなら、私が変わればいいのでしょうか?
私が命がけで、彼を救う覚悟をし、本気で脱依存症させる事に尽力すればいいのでしょうか?
たしかに、それを遂行すれば彼には何かしらの変化が起こると思います。
しかし、彼が全く変わろうとしていない状態で、私は本気を出せないでしょう。バランスが悪すぎます。
変わろうとしていない人を、正攻法で変えようとするのは、不可能に近い事だと考えています。
という事で、私が彼の依存症を治してあげるのは、現段階では無理です。
それに、悪い言葉で言えば、時間と労力の無駄というやつです。
見下したり、さげすんだりしているわけでもなく、ただ無駄だという事です。
なので、私は少し話を聞いただけで、何もしませんでした。
さいごに
最後までお付き合い頂きありがとうございました。
時々、当ブログを他の「綺麗事を言うブログ」と同じに考えている読者様がいらっしゃいます。
それはそれで大いに結構で、私の力不足でもあるので仕方ないのですが、誤った捉えられ方をされるともったいないので、一応訂正させて頂きます。
当ブログは「綺麗事」ではなく、「真実」を追求するブログです。
しかし、”綺麗事”と勘違いされても仕方ない部分もあるのも事実です。
理由としては、当ブログでは”批判”をほとんどしないので。
なぜだか、”批判する=本音”という謎の風潮ができているような気がします。
それは間違っていますからね。笑
私が批判を好まない理由は、気が向いたらお話します。
それにしても、10年前は彼が数百万の借金をつくるなんて、誰も想像できなかったと思います。
人間、何が起こるか本当に分からないですね・・
彼の両親は、”真面目で良い子”に育つように教育していたと思います。
結果論ですが、そのやり方は間違っていたみたいです。
それでは失礼致します。