こんにちは、あっきーです。

最近は色々と優先したい出来事が多くあり、ブログの更新頻度が落ちてしまっています。
1日空いても、1日半空いても、それでも更新したいと思っています。

目まぐるしくすぎていく日々に、脳みそがうまくついて行かない事もありますが、
起きた出来事を受け入れるのではなく、受け止める事が大事なのかなと感じたこの頃です。

このブログを読んでくださっている方々は、主にスロッターやパチンカーの方が多いと存じています。
そんな皆さんには共感頂けるかと思うのですが、今日は”矛盾”について少しお話していきたいと思います。

矛盾演出

ギャンブル依存症である私が、別の意味でのギャンブル依存症だった頃、大好きだった演出があります。

それは、”矛盾演出”

例えば、演出は青色のリプレイ示唆なのに、ベルが揃った!など、小役示唆なのにハズレた!などです。
ハーデスにおけるでっかい槍が降ってきたのにハズレたりも熱いですね。

4号機のカイジなどでは、しょっちゅうレインボー(?)が出てきますが、ただの小役示唆なので残念です。笑

とにかく、あの矛盾演出が好きだったんですよね。
今でもひっそりと矛盾したら、私もひっそりとテンションが上がります。

”好きだから”

スロットを打つ際、知らず知らずに矛盾をさがしています。

矛盾演出を見つけると、フラグ察知やボーナス最速入賞に役だったりするメリットもあります。

この矛盾を探す作業って、日常生活にも役立っているなーと思ってこの記事を書いています。

日常生活は、矛盾で満ち溢れています。
目に見えない矛盾、目に見えやすい矛盾、目に見えないように隠されている矛盾、本人も気づいていない矛盾、様々あります。

少し残念なのは、対人関係における”矛盾”は激熱ではないという事です。

対人関係における矛盾

「私は世の中の為になるような事をしたい」

そう言っている人が、タバコやごみのポイ捨てをしていたら、矛盾濃厚です。

ごみのポイ捨ては能動的なものなので、これは言葉と行動の矛盾を自分で隠しているパターンが多いでしょう。

そして悲しい事に、人間とはこんなものです。口では綺麗な事を言いつつも、蓋を開けてみると大したことがなかったりします。

よくあることです。

これは見えやすかったり見えづらかったりします。
大体にして、その人の近くにいると気付いたりしますね。

そして、少しタチが悪いのは、

”本人が気づいていないパターン”

自覚がないという事ですね。

例えば、ゴミを捨てたその人は
「私は普段良い行いをしているから、ゴミくらい捨てて良いに決まっている」

そう考えてしまっているかもしれません。
それを自分の中の正義と思ってやっているかもしれません。

しかし、当の本人以外はそれを”矛盾”と捉えます。

「口では綺麗な事を言いつつも、ゴミをポイ捨てする非常識な人」

という認識になるわけです。

世間的には、ほぼ確実に悪になってしまいますよね。有名なアグネス・チャン氏が良い例です。
でも、これって実際どうなのでしょうね?

たしかに、その人がゴミを捨てる事は褒められた事ではありませんが、
実際にその人が、他の分野での善行をしている事には間違いありません。

その人は、ゴミを捨てる代わりに、他人の命を拾っている人かもしれません。

お金や権力を使って人を救っているのかもしれません。
大きな目線で考えると、人類にとってはプラスでしょう。

しかし、もっと細部まで考えると見えてくるものがあります。

それは、他人の命を捨てられない人間がゴミを捨てられるのかという事

その人がどんな物差しで物事を見ているのか

世界にとっては、その人の行動が正しいのは理解できます。
(あくまでも、人類が繁栄する事を是とする世界ですが)

しかし人の命を救っていたとしても、ゴミをポイ捨てする人間は本物とは中々思えません。

だからこそ、真実を見るためによーく見てみると、ある矛盾がみえてきます。

それが先ほど言った、

「人の命は捨てられないのに、ゴミは捨てられるの?」

”捨てる”という共通項にスポットライトをあてて考えます。

では、なぜ人の命を捨てないのか?

私たちは勝手に、人を自分の物差しでみてしまう癖があります。

「ああ、この人は人の命を救っているから、良い人に決まっている」
それは”倫理観”という、自分たちの物差しで測っています。

では当の本人は、どんな物差しで物事を考え、人の命を救ってゴミを捨てているのでしょうか?

まず、ゴミを捨てているという事は、思いやりや倫理観100%だという論理は否定されます。

つまり、倫理的な思いで人の命を救っているわけではない可能性が高いです。

倫理的ではなかったら何?

ここで皆さんが当然のように感じる疑問があると思います。

高い倫理観が備わっている善人じゃないのなら、何で人助けをしているの?

そこが当然のキーポイントになってきます。

大体、こういった場合は基本を忠実に考えると案外答えに近づいたりするものです。

その場合、検証しなくてはならない事の一つとして

”自分の利益の為にやっているのではないか?”

実は、その人は他人を救う事によってお金を儲けられるシステムを構築しているかもしれません。

そのような場合は、利己的に人を救っている事が濃厚になりますね。
だからこそ、自分の利益につながらないゴミは容易に捨てる事ができる。

話の筋としてはそれで繋がります。
 

大体これで正解でしょう。

他に可能性があるとするならば、それは我々の価値観では理解しがたい事かもしれません。

善悪なしの人

これは善だ、偽善だなどという議論がしばしば行われますが、善悪関係なしの物差しを持っている人もいます。

皆さんには理解できますか?

善意も悪意もないような人を

つまり超合理的な人間という事になりますが、その人の思考をたどると、
多少の手間をかけてでも人助けはした方が良い、そして俺が捨てたゴミは誰かが拾えばいい。

俺は人の命を拾う、お前らはゴミを拾え、分業だ。

驚くべき事に、このような思考をしている可能性もあります。
さすがにこのレベルの合理的な人間は会った事がないですが、どこかにいる可能性もありますよね。

その人は、偽善でも善悪でもなく、そういう物差しで物事を測っていないという事です。それがその人の正義だったりします。

良い悪いは関係なしに、それが真実だったりします。

少なくとも、私は真実を見誤らない人間でありたいと思っています。

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まとめ

矛盾演出のお話から始まり、人の矛盾の話になり、そして落としどころとしては、人を自分の物差しだけで測ってはいけないというお話でした。

まったく意味の分からない人もいるとは思います。
それもそのはず、私は書きたい事をただ書き綴ったたけですから。

つれづれなるままに・・・というやつですね。笑

もしかしたら最近は、安っぽい言葉やビジネス論に飽き飽きしていたせいもあるのかもしれません。
安っぽい言葉ばかり聞いていると、なぜかフラストレーションがたまってしまうので、記事を書く事によって満足したかったのかもしれません。

そういう自己満足の記事ですが、最後に一つだけ皆さんにお伝えしたい事があります。

あなたが人の矛盾を偽善だと指摘して、本当はその相手が本物だった時
その時は、あなた自身が偽善になってしまいます。

人の本気を偽物だと宣言する事は、大変失礼な事です。

だからこそ自分の物差しで人を測ってはいけないなと、つくづく思います。
日々を矛盾をしないように生きていきたいですね。

ちなみに物差しとは”価値観”の事です。

以上、自己満の記事に最後までお付き合い頂きありがとうございました。

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