こんにちは、あっきーです。

いつもは偉そうに自分を語っている私ですが、今日は皆さんに私の弱い部分も見てもらおうと思い、この記事を書きました。

私は今、人生の岐路に立っています。

岐路というよりは、目の前に大きな壁がいくつかあるんです。

ここ最近、その壁の正体が分からずにずっともやもやしていました。

しかし、ようやく見えてきたものがあります。

すごく弱くて、恥ずかしくて、情けない。

ただそれだけのお話です。

自立とは

私は、自立しています。

では、自立とは何か?

どなたかが仰っていましたが、

「何か大事な決断をする時に、親や保護者の顔が頭に浮かばないか」

という判断基準が私にはしっくりきました。

今現在、仕事はしていませんが、地元を離れ一人暮らしをしています。

部屋の掃除や洗濯、皿洗い、家事全般をこなしながら、自分の時間を作って楽しくやっています。

大事な決断をする時にも、親の顔は思い浮かびません。

今はもう会わなくなった家族もいますが、時折、元気にしているのかな?と少し心配に思いますが、それだけです。

つまりは、立派ではないにしろ、自立した大人になったと言ってもいいでしょう。

もちろん、親の顔が浮かんでも自立できている、という人もいます。

一概にこうだ、と言えないのは言葉の常だとも思いますが、私の場合は当てはまるので、今回は例に出させて頂きました。

人の弱さを受け止める

私が今、ぶちあたっている壁。

これを乗り越えて進むかどうかで、今後の人生は非常に大きく変わる事が間違いないほどの壁。

それは

人の弱さを受け入れる事

なぜ、先ほど自立のお話をしたのかと言うと、

自立している人は、基本的にどこか強いです。

強い人というのは、弱い人に対して少し厳しい側面があります。

私は強い人です。

しかし、100%、純粋なものというのは稀で、金(きん)でさえも、人間の場合はもちろんそうです。

100%良い人が稀だというならば、
100%悪い人がいる事も稀です。

とすれば、100%強い人も稀だと言えるでしょう。

つまり私は、先ほど自分で「強い人だ」と言いましたが

100%どころか、ギリギリの51%強くて、残りの49%は弱いかもしれません。

しかし、私は必死に生きてきた。

それはもちろん、周りの人々のおかげで、本当に人に恵まれているなと思う反面、それでも自分は大変な努力をしてきた。という自負もあるわけです。

「私なら出来る事ができない人」

そのような人がいたら、心のどこかでその人に対して「弱い」と感じてしまうのです。

それは、個人的に悲しい事です。

自分の理想では、弱い人にも寄り添って手を差し伸べる事ができる自分でありたいと思っています。

そうです。

今の私では、人の弱い部分をしっかりと受け止める事が出来ないのです。

もちろん、形式上ではできます。

昔の仕事での指導教育では、新人さんや後輩に寄り添い、相手の事を理解し導いていくことが私の仕事の一つだったので、それは得意分野でもありました。

しかし、それは見た目上の話。どれだけ上手で綺麗にやっても、心に寄り添えているわけではありません。

自分の弱さを受け入れる

人に対し「弱い」と思ってしまう理由は、少し分かっています。

それは自分が弱いから

このブログで綺麗事を言うつもりはありません。

全てありのまま、本音でお話できる場所にしたいと思っています。

だからこそ言える。自分が弱いと。

今までは弱かったけど、こうやって強くなりました!
そのノウハウはこちらです!

みたいな事ではありません。

正直に、今の自分はちっぽけで弱いです。

人よりできる事もたくさんある。

自分にしかできない事もたくさんある。

しかし、自分ができない事も本当にたくさんあるんです。

それは、自分の弱さゆえです。

なぜここまで自分を弱い弱いと論ずるかと言うと、

先ほども言ったとおり、弱い人を見たら弱いと思ってしまうからです。

時々、人の弱さを見ないふりしてしまうほどです。

もし、本当に心が強い人ならば、私とは反応が違うと思います。

本当に心の強い人は、人に対して「弱い」と言って打ち捨てたりはしないし、ましてや見ないふりなどはしないわけです

具体的にどんな違いがあるのか?

一言に強い、弱いと言っても、しっくりこない方も多いと思います。

その大きな違いの一つとしては、

過去を捨ててきたかどうか

私は今まで捨ててきました。

正直、1年前の自分が何を頑張ってきたのかうまく思い出せないくらいです。

その理由は、1年前の自分は、今の自分よりも出来ている事が少ないからです。

1年前の自分を思い出すという事は、今よりも1年分出来ない自分を思い出す事になるんです。

それはつまり、ちっぽけな自分を思い出す事と同義になるので、過去を直視するのが怖いんです。

だから捨ててきた。

自分が出来ていないのが嫌だから、かなり努力してきました。

出来ていない自分を見るのが嫌だから過去を捨ててきました。

そう考えるとしっくりきます。

私は、弱い自分だった。

だから努力した。

そして弱さが少しずつ減ってきた。

「ここまでは素晴らしいです」

努力して出来るようになってからは、出来ない人の気持ちが分からなくなってきた。

ここがいけなかったんです。

全て忘れたわけではありません。

覚えている事も、もちろんあります。

ふと、今日思い出した事があります。

それは、3歳の時、親に着替えさせてもらった事。

時折、自分で着替える事が出来たら、褒めてもらえました。

それを今日、久々に思い出しました。

つまりは服を自分で着られなかった事を忘れていたのです。

このように、出来ていなかった事を忘れていくという事は、

ある意味では、前だけを見て走ってきた事の弊害です。

しかし自然な事だとも言えるでしょう。

人間の脳みそはそう言う風にできているのですから。

感覚や強い刺激を伴わない古い記憶は奥底にしまわれていき、新しい物が増えていくと、さらに奥へ奥へ。

となると、「忘れた」と言うと少し語弊がありますよね。

思い出せないだけ。

つまりですね、今まではがむしゃらに、目標達成だけを目標にして進んできたんです。

がむしゃらにやってきたから、達成できるのは当然です。

しかし達成できたとしても、それ以前の細部までは思い出せない。

この事にどのような弊害があるかというと、先ほどから述べているように、出来ない人の気持ちが徐々に分からなくなっていくんです。

私は、弱い人に寄り添えるような人間になりたいです。

弱い人に寄り添うためには、その人の気持ちを理解しなくてはいけない。

気持ちを理解するためには、自分が出来ない事、または以前出来なかった事、そしてその時の気持ちを覚えていなくてはならない。

結局どうしたいの?

少し長くなりすぎたのでまとめると

今の自分は弱い。

だから人の弱さを許せない時がある

許せない理由は、自分自身が本当は弱いから

今後、人の気持ちに寄り添えるようになりたい

では、人の弱さをしっかりと見なくてはならない

人の弱さを見るという事は、自分の弱さもしっかりと見るという事

自分の弱さを見るという事は、自分が出来ない事や、以前出来なかった事をしっかりと覚えておく事。

最終的には、人にも自分にも優しくなりたいです。

これから頑張って、今の壁と向き合っていきます。

このように、記事にする事で、この記録は残ります。

進むべき道からずれてしまったら、この記事を読んで、弱い自分を思い出します。

自分を含め、誰かの原点になれたらいいなと思います。そういう場所であって欲しいです。

以上、本音でした。
(落ち込んでいるわけではないので、どうかご心配なく)

お付き合い頂き本当にありがとうございました。

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